夢であれば、部屋に戻っていれば、そんな僅かな望みも、楓が再び目覚めて目にした景色はあっさりと打ち消してしまう。見慣れない御簾に囲まれた寝所と、いつの間にか傍に誰かが控えていて、いままで過ごしてきた世界とは別の所へ来てしまったのだと思い知らされる。
「おはようございます、神子様。御加減はいかがでしょうか」
侍女の一人に尋ねられ、昨夜取り乱した時のことを思い返しては頬が熱くなっていく。
未知の行為ではあったけれど、全く何も想像すらしなかったわけではなかったはずなのに……呼吸が乱れるほどに騒ぎ立ててしまった。いくら経験がないとは言え、子どもじゃあるまいし……と、思いつつも、覆い被さってきた松葉の体の熱や、楓に唇を重ねてきた常盤の妖艶な眼つきを思い返すと、どうしても身震いしてしまう。
「やはりまだ、どこか具合が悪うございますか?」
侍女の問いかけに黙り込んでいた楓に、心配そうな目を向けられ、慌てて顔を上げ、弱く笑う。
「だ、だいじょうぶ、です……」
「左様にございますか? では、お支度をして、朝餉をお持ちいたしましょう」
そうしてまた手際よく御簾から出され、身支度を整えられていく。昨日ここに来た時に来ていたいつものオーバーサイズのTシャツやズボンやスニーカーなどはどこかへ仕舞われてしまったらしく、用意されたのは着物だった。それも、楓でもわかるほどに上等な仕立てのものだ。
自分で着付けなどできない、と懸念していたが、そんな心配など無用とばかりに侍女たちが手際よく楓を着替えさせていく。これもまた、楓が神子様であるからだろうか。
寝所のすぐ隣には板の間があり、そこには一人分の食膳が整えられている。膳の並ぶのは真っ白な粥と香の物、何かの魚の干物、そして小さな小鉢に盛られた煮物だった。
なんだか病院食みたいだな、と思っていると、先程の侍女が、「神子様の朝餉にございます」と告げる。
「御加減よろしくなさそうとのことでしたので、
「あ、はい……ありがとうございます」
頂きます、と手を合わせ、恐る恐る粥をひとさじ口に運ぶ。ふわりとやさしい米の甘味が口中に広がり、ゆるゆると息を吐く。懐かしささえ感じるほどの味は、まだ解けない緊張をほぐしてくれるようだ。
見知らぬ世界だから、食べ物も未知のものだろうかと内心身構えていたのだが、食べ慣れた味とそう遠くないものに安心感を覚える。
お陰で少し緊張が解けたのか、楓はそれから黙々と膳の物を口に運んだ。じっと傍で侍女に見守られているのは気恥ずかしかったが、舌に覚えのある味覚のお陰で無駄に緊張せずに済んだ。
胎が膨れたかどうかはわからないが、とりあえず用意されたものを完食し、再び部屋を移動する。次いで連れてこられたのは、昨日最初に訪れた神社のような建物を通り過ぎたその隣の建物だった。
通されたそこには、松葉と常盤、そして爺様と呼ばれていた老爺と数人の御付きの者が待っていた。
待っていた者達は、楓が入ってくると、一斉に立ち上がり、深く叩頭する。
「神子様、昨夜は申し訳ございませんでした。少しはお休みになれましたでしょうか?」
最初に口を開いたのは爺様で、申し訳なさそうに眉を下げて頭まで下げてくる。この中で最も目上であろう彼がそうしたことで、周りの松葉たちも一斉に頭をまた下げてくるため、楓は居た堪れない気持ちになり、慌てて首を振った。
「いえ、僕の方こそ、取り乱したりして……すみませんでした……」
「神子様がお気に病むことはありませぬ。清らな方であるからこそ神子様であるのに、その扱いがなっていなかった、こちらの不手際なのですから」
確かに、昨日の行為の流れは多少の強引さを否めないだろう。しかし、そのすべてを松葉と常盤に火があると責める気には、楓にはなれなかった。
(だって二人は、この国や国の人たちを助けたいから、僕と交わらなきゃなんだし……)
でもだからと言って、今日またすぐに二人と性行為を、と言われても、気持ちがついて行かないのが本音だ。
頭はでは事情を理解しつつも、やはり未知なる行為には恐怖が拭えない。爺様を中心に輪になる真ん中に座らされた楓は、座してうつむいたまま顔があげられないでいた。
神事ではないと意識するだけで、触れられるすべてが熱くなっていくのが不思議でならない。しかもそれはただ熱を持つだけでなく、そこからじんわりと甘く痺れていくのだ。「っは、あ、ン……ああッ、ンぅ、ッんん」「随分と艶っぽい声が出るようになったなぁ、楓さま……聞いてるだけで疼いてくるぜ」「ッは、ンぅ!」「ここをこうすりゃ……もっと啼いてくれるか?」 なぶられ赤く染まる胸元に、松葉が軽く歯を立てられ、楓は悲鳴を上げる。鋭くも甘味がある痛みが、じんと腰に響き、疼く。疼きはやがて腰の奥で熱を待ち受ける秘所を刺激し、楓を甘く啼かせた。 松葉の激しい愛撫に啼いていると、その口に常盤の唇が重なり塞がれる。幾度となく交わしてきた口付けの中でも、今宵の物は飛びぬけて濃密に感じられる。 長く絡み合う口付けのあと、そっと唇を離すと、交わる吐息までも互いに甘く熱い。向かい合う瞳がいつになくとろけて見えるのも、きっと互いの想いを知った上での交わりだからだろう。「愛らしい私の神子様……私にもその可愛らしい御声を聞かせて頂けませんか?」 艶めかしく囁く常盤の声にも、楓の肌は泡立ち震える。松葉が雄々しく猛る声色であるならば、常盤は身震いするほどの美声なのだ。 そんな声に捕らえられ、楓は一層四肢の力が抜けていく。身を預けるようにしなだれかかる楓を、ふたりはそっと布団に横たえた。 横たわる楓の口元から胸元にかけて常盤が捕らえ愛撫し、下肢を松葉が舌を這わせていく。胸元も後孔も、複数の箇所を同時に攻め立てられ与えられる快感が、これまでのどのセックスよりも激しい。「あ、ンぅ……ッく、あ、ンぅ、で、出う……出ちゃ……あ、ああッ」「ああ、遠慮なく気をやっちまいな、楓さま……もっともっと気持ち良くしてやるよ」「楓さまのお顔も、御声も、全て愛しいです……さあもっと啼いてくださいませ」「あ、ああッ! ッや、あ、ああ、ンぅ、ン、ンぅぅ……ッ!!」 松葉がきつく屹立の根元を握りしめていたせいで、射精することなく楓は極まってしまった。体を打ち上げられた魚のように
「何故……何故そのような悲しいことを仰るのですか……楓さまは、我々がお嫌いになられましたか?」「常盤……? 何言ってるの、そんなわけないじゃない!」 真実を確認するために述べたに過ぎないのに、まさか泣かれるだなんて思っていなかった楓は、慌てた様子で松葉に同意を求めようと振り返る。 しかし振り返った先の松葉の顔も同様に、ぐしゃぐしゃに涙にぬれて歪んでいた。それはまるで打ち捨てられた子どものように心許ない顔をしている。「……松葉? なん、で……」「なんでもなにもねえよ……楓さまが俺らを嫌いでこの世界から出ていくってのが、悲しくねえわけねえだろ」「そんなことない! そんなことないよ、松葉、常盤!」「じゃあ何でそんなことを言うんだよ!」「共に過ごした日々は無になると言うのですか?!」 腕に抱かれ、泣き叫ばれて、自分は何か思い違いをしているのではないかと楓は気付き始める。しかしそれをそうではないかと確信してしまうには、まだ言葉が足りない。いま食い違う解釈をしている事柄を、落ち着いて、涙を拭いて照らし合わせなければならないのだから。 楓はそれをゆっくりと紡ぎ出し、言葉にして問う。「じゃあ、僕は……神子様の御役目が終わっても、この世界にいて、二人と一緒にいてもいいの?」 一番といたかったことを言葉にし、差し出すと、二人は泣き笑いをしてうなずき、それぞれに答える。しかし言葉より先に、背後で尻尾が大きく揺れていることが、何よりも雄弁にその答えを表していた。「当たり前だろ、楓さま。俺が心からまぐわいてぇ、愛しい相手はあんただけだ」「当然です、楓さま。私が心よりお慕いするのは、あなた様だけです」 自分はどうなのだ、と言葉と視線を差し向けられ、楓はじっと二人の目を見つめる。色気のある垂れた金色の瞳と、涼しげで美しい青い瞳。どちら共にそれぞれの魅力と愛情を感じるからこそ、楓は二人と共にありたいと思う。この先も、ずっと。 だからその想いを、そのまま言葉にして返した。「僕は、この先もずっと、松葉と常盤と一緒にいたい。この世
「……楓さま? どうした? どっか痛ぇのか?」「楓さま? どこか具合が悪いのですか?」 二人の腕に抱かれながら、楓はいつの間にかはらはらと涙をあふれさせていた。胸が苦しくて痛くて仕方ない、しかしそれが、病気やケガでないことぐらいわかっている。どんな意味の痛みを孕んでいるのかもわかっているからこそ、楓は口にするのをためらう。「どうした、どうした。この腹黒狐にイヤらしい触られ方でもしたか?」「それはあなたでしょう、松葉。下衆な勘繰りをする狸にどうこう言われたくありません」ここにきていがみ合う二人の様子に、楓は、「違う、ちがうの……」と、涙交じりに答え首を振る。松葉が楓の目元を指先でやさしく拭い、常盤がそっと背をさすってくれても尚、胸の痛みも悲しみも癒える様子がない。 最初に枕を共にして怯えた時にも泣いてしまっていたが、その時と様子が違うことに二人も気づいたのか、小競り合いをやめ、ただじっと、楓の気持ちが落ち着くまで寄り添っていてくれた。 触れて撫でてくれる手のひらも指先も、時折頬に触れる尻尾も、全てが楓に寄り添うためにここにあるのだと思うと、たまらなく愛しい気持ちが胸に溢れる。溢れ出て口からこぼれ落ちそうになる想いを、伝えてしまいたくなる。 でもそれはできない、してはいけない。何故なら、楓はもうこの世界にいるための役割を終えてしまい、元の世界へ帰らなければならないのだから。(二人を困らせるだけのことを、言っちゃダメだよね……でも、何も言えないのも苦しいよ……) 元々が住む世界が違う者同士なのだから、惹かれてはいけないものなのではないだろうか。半獣と人間、神事として結ばれることはあっても、そこに恋情を混ぜることを許されないのではないだろうか。 これが三人で過ごせる最後の夜になる。交じり合える最後のひと時になる――そう考えるだけで、楓は苦しく、涙が止まらない。 でもそれも、楓の我儘なのだと思えば、堪えてないものにするしかない。なにより、松葉も常盤も、楓と恋情を絡めて結ばれたいと思っているとは限らないのだから。(……そうだ、これは僕の独り善がりだ。二人の気持ちが同じ
ひんやりとした何かが頬を撫でて気持ちがいい……薄っすらとした意識の中で感じるものに、楓は無意識に自ら頬を寄せる。もっと、と、呟いてもいたのか、そちらからも近づいてこられ、密着していく。 冷たいものに頬を寄せている内に、自分の体が火照っていることに気付かされる。どうしてこんなに体が熱いのだろうか……ぼやけたままの意識と、段々と輪郭を明確にしてきた視界をみつめながら楓は考え、そこに映り込んだ人影の名を呼ぶ。「……まつ、ば? とき、わ……?」 名を呼んだそれらは、楓の言葉にホッとしたように息をつき、やがて頬や額に触れてきた。「よく眠ってたな、楓さま。気分はどうだい?」「何か飲み物をお持ちしましょうか?」「ありがとう……いまは、何もいらないよ……」 熱いと自分でもわかる吐息交じりに答える楓に、松葉と常盤が弱く微笑みうなずく。二人が安堵している様子に、楓もほっと息をつく。 どうやら宴会場でしたたかに酔ってしまい、別室に運ばれたようだ。遠く賑やかな宴会場の声が聞こえはするが、この部屋自体はとても静かで、うす暗い。「随分呑まされちまってたみてえだな……気付けなくて悪かったな、楓さま」「無礼講とは言え油断していましたね……すみません」「ううん、そんなにたくさんは呑まされてないから……ちょっと、場に慣れてなかったのもあるのかも」 そう言いながら楓が身を起こすと、二人は揃って支えようと手を差し出してくる。両脇から抱きかかえられるようにして身を起こし、常盤が差し出す水差しで水分を補給する。ほんのりと甘いそれが火照る喉と体に心地いい。「ごめんね、折角の宴会なのに、僕のせいで抜けることになって……。もう大丈夫だから、戻っていいよ」「いいんだよ、みんな俺らの帰還にかこつけて飲みたいだけなんだから」「それよりも私は楓さまが心配ですから……お傍に、いさせてください」 それぞれから苦笑気味にそう言われ、楓はお言葉に甘えて二人にそのままいてもらうことにした。二人のあたたかな腕に包まれていると、無意識のうちに体に力が入っていたことに気付かされる
その晩は、三人が住まう屋敷の広間で大宴会が開かれた。ご馳走や酒など宴会の用意はすべて爺様が手配してくれ、楓たちは上座で整えられた会場で皆が杯を交わし、笑い合う様子を見守っているばかりだ。 集落ごとの長などが、酌をしに次々と席に訪れて楓たちに酒を勧めていく。二十歳を迎えているので、一応飲酒できる年齢ではあるため、楓もすすめられるままに杯を受け、ひと口、ふたくちほど口をつけている。それでも、頬が火照るほどに酔いが回ってしまうくらいに、訪れる者が多いのもあるのだろう。「本当に、神子様には感謝してもし切れませぬ。禍の病で妖力を失う者が後を絶たず、村は消滅するかという瀬戸際でしたので」「我が町も、お陰様をもって安寧を取り戻しつつあります。ワシからも礼を言わせてください」 そう言いながら盃に酒を注がれれば、楓は弱く笑ってそれを口にする。感謝の想いの込められた酒は確かに格別に美味いと思うが、いささか飲みすぎている気もする。 ちらりと隣を窺うと、顔色一つ変えずに、勧められるままに杯を空けていく松葉と常盤がおり、どちらもにこやかに客と談笑している。二人とも、こういう場に慣れているのだろう。仕事の上でも、年齢の上でも、楓よりうんと馴染んで見えし、実際二人は楓より五つも上だ。 それならば当然だろうか――そう、ぼんやりと考えていると、思考のように視界も揺らいでくる。まるで、水の中にいるようで、なんだか座っている足元もおぼつかないし、体もふわふわする。 一体何が……と、思っていたその時、「楓さま!!」と、誰かが叫ぶように呼び、楓の体が抱き留められた。「大事ねえか、楓さま」「我々がわかりますか、楓さま」 心配そうな顔をした松葉と常盤に交互に尋ねられ、楓は弱くうなずく。その様子にふたりは安堵したように息を吐いたが、表情は硬いままだ。 何が起きたのだと尋ねるより早く、楓を抱えた松葉が立ち上がり、そのあとに常盤が続く。「楓さまがお疲れのようだから、俺らで運んでくる」「ですので、会はこのままで。皆さん御歓談していてください」 そう、二人が大きな声で述べると、騒めき
「あったりまえよ。楓さまは向こうでもこっちでも、あの頃と変わりなくお優しいんだからな」「本当に、楓さまはあの頃のお優しくきれいな心でいらっしゃいますから」「あの頃……?」 まるでずっと昔にも会ったことがある様な爺様と松葉たちの言い様に、楓は困惑して二人を見上げる。金色の色気のある垂れ眼と、涼やかで美しい青い瞳が、慈しむような、懐かしいものを愛でるような眼でこちらを見つめている。 何故そんな目をするのだろう……そう、楓が呆然としていると、ふと、記憶のかなたから懐かしい両親の声が聞こえてきた。 ――だいじょうぶだよ、楓。狸と狐は不思議な力を持っているから、ちゃんと元気になるよ。 ――楓が愛情込めて手当てしたから、きっとすぐに元気になってくれるわよ。 遠い昔に、山にピクニックに出かけた時に、罠にかかった狸と狐を見かけたことがあった。手負いの野生動物だから、と、幼かった楓がその時できることはほとんどなかったが、付きっきりで見守っていたのだ。早く良くなりますように……そう、眼差しで二頭の体を撫でているつもりで。「え……じゃあ、あの時の、狸と狐って……」「ガキの頃の俺と常盤だな」 けろりとそう松葉が言うものだから、楓が目を丸くして驚いていると、常盤が苦笑して言葉の後を継ぐ。「幼い時分に、松葉と人間の世界へこっそり遊びに行ったことがあるんです。妖力を総動員すれば、向こうの世界に行けることを聞きつけて来たもので」「そしたらまあ、そこで俺らは獣用の罠にはまっちまってな……」「楓さまの御父上たちに助けて頂いたんですよ」 そうして一晩だけの約束で家に保護した際に、楓が二人に興味を示し、出来る限りの世話を焼いてくれたと言うのだ。 そう言いながら、二人は着物を寛がせ、肩を抜いてそこにある傷痕を見せてくる。薄く赤いギザギザとした線があるのみだが、確かに罠にかかった時のものと言える。「その時、神子様が二人に向けて下さったお気持ちが忘れ難く……この度お招きするに至ったと言うわけです」「そんな……僕はあの時は特に大したことはし